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マナーとしての「介護脱毛」
投稿者 :Mellow.Staff on
オリンピックの”多様性“と”調和“
投稿者 :Mellow.Staff on

さまざまな議論や物議の中で行われた東京オリンピックですが、今大会の理念のうちのひとつが「多様性と調和」でした。多様性と一口に言っても人種やジェンダー、信仰や身体的能力など様々ですが、その開会式の旗手を開催国の日本からは八村塁選手が、聖火の最終ランナーを大坂なおみ選手が務め、いい意味でも悪い意味でも話題になりました。この二人の活躍は誰もが知るところであり、素晴らしい選手であるために選ばれたという点については誰も文句の付け所はなかったはずですが、同時にその人選に対する批判も多く聞こえてきました。「人種」部分にフォーカスし、外見からルーツが日本以外にもあるのが非常にわかりやすい2人が、目に見える多様性といった意味で選ばれたのは想像に難くなく、そのような意図が透けて見えてしまったことも批判が起きた要因ではあると考えられます。そのような批判が起こってしまった状況は残念ながら調和とは程遠く、まだまだ日本で多様性を語る土壌が出来ていないことを痛感する出来事でした。こういった日本国内の状況に対して、世界中から集まってきた選手たちはオリンピックという国際舞台で、素晴らしい競技と共に様々な多様性と調和を見せてくれました。今大会には、性的マイノリティー(LGBTQ)を公表する選手が過去最多となる180人以上参加し、編み物王子としても注目された男子飛び込みのトーマス・デーリー選手が表彰台で「私はゲイで、金メダリストです」とスピーチし、世界中の性的マイノリティ―に、みんなはひとりではないと強いメッセージを発信しました。また、オリンピック史上初めてトランスジェンダーの選手が大会に出場し、少なくとも3人の「女性」選手が活躍しました。IOCは2004年、トランスジェンダー選手のオリンピック出場を認め、2015年にガイドラインを策定し、特にトランスジェンダー女性選手(男性として生まれ、女性に変わった選手)についての女子種目への参加資格として、過去4年以上自分は女性だと公言し、なおかつ過去1年以上男性ホルモンの値が一定値以下であれば、性転換手術なしに女性の競技に出場できるとしました。しかし、トランスジェンダー女性の出場は、一般の女性選手に不公平だという批判もあり、代表選出をめぐっては様々な議論があったようですが、その一方で、包括性の観点から東京オリンピックでは多様性を尊重し、より多くの人を受け入れるべきだという意見からトランスジェンダー女性が大会へ参加する経緯となりました。男性として第二次性徴期を過ごした人は、骨密度や筋肉量が女性より高くなるなど、生物学的に有利だという指摘もあり、まだまだ検証すべき点もあるかとは思いますが、自らの性自認に基づいて大会に出場できる環境が整ったことは喜ばしいことだと感じます。IOCは、このことについて「スポーツ全般における女性の平等とエンパワーメントが確実に実現されるよう留意」し、「ジェンダー自認や性特徴にもとづく差別のない、さらなる包含を進める」と述べています。明日からパラリンピックが開幕しますが、オリンピックの多様性と調和を踏まえ、一歩進んだ「ダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(包括)」が表現されるのを希望を持って期待します。追記:オリンピック閉会式での岡本知高氏の歌声は圧巻であり、男性でありながら女性ソプラノの音域を持つ男性ソプラノ歌手「ソプラニスタ」は、まさに多様性と調和を表すにふさわしいパフォーマンスであったと思います。
- タグ: LGBTQ, ジェンダー, ダイバーシティ, ダイバーシティ&インクルージョン
ジェンダーレス制服
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新年度を迎え、真新しい制服に身を包んだ中高生を見かける季節になりました。 かつては男子は詰襟、女子はセーラー服、近年ではブレザーの制服の学校が主流になり、男子はネクタイにスラックス、女子はリボンにスカートの学校が多くなっていましたが、男女の性差を問わないジェンダーレスという言葉が聞かれるようになるにつれ、教育の場でもLGBTQへの関心が高まり、多様性に配慮した学校が取り入れだした『ジェンダーレス制服』の導入が全国で活発になってきています。 個性を尊重するという意味合いから制服を自由選択できる取り組み自体は、数年前から少しずつ始まってきていましたが、ジェンダーの多様性という意味合いでの自由選択の導入は2018年ごろからにもかかわらず、2021年度に取り入れた学校は1,000校以上にも上り、この3年で2.7倍の増加だそうです。 制服というフィルターを通じて、徐々に広がりつつある教育現場における性的マイノリティへの理解と関心ですが、今後さらに広げていくためには、本当の意味で「自由に」制服を選択できることが重要です。 現状ではジェンダーレス制服を導入している学校の多くが、「基本的に」女子はスカートかスラックスを選べ、男子も「希望」すればスカートを選べるといった状況です。 選択の幅が広がったことについては歓迎すべきことですが、スラックスを選んだ女子を少数派と偏見の目で見たり、スカートを希望した男子がいじめの標的にならないように、少数派の多様性を周りが認める環境づくりも必要になって来きます。 よく見かけるタイプのジェンダーレス制服の広告などはモデルが3人構成で、ブレザーにスラックス姿の男子に、スカート姿の女子とスラックス姿の女子というものです。男子のスカート姿のモデル画像はまだ見かけたことがありません。 そういった広告による情報の力は絶大であり、女子のスラックス姿は「当たり前」のものとして認識されていきつつありますが、今後は、男子のスカート「希望」についても「選択」にし、環境として違和感なく「当たり前」にしていくことが必要です。 わざわざジェンダーレス制服という名前を付けずとも、制服モデルにスカート姿の男子の姿を「当たり前に」見かけるようになった時にはじめて、制服のスタイルが選択できることが自然で当たり前のことになり、自認する性に合った制服が当たり前に着られる環境になる。その時が本当の意味でのジェンダーレス制服導入の目的が達成された時となるのではないでしょうか。
トランスジェンダーの日
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本日、4月4日は「トランスジェンダーの日」です。 女の子の成長を祝う桃の節句(ひな祭り)が3月3日、男の子の成長を祝う端午の節句(こどもの日)が5月5日。 その間の4月4日を、「性の多様性について、広く社会的な理解を深める記念日」として、性同一性障害者の自助グループ『TSとTGを支える人々の会』が1999年に制定。 今日は固定概念にとらわれず、自分らしい性の在り方について、また、自分らしい性を体現する方々にもまなざしを向けたい日。 先日、弊社商品の打ち合わせの席で、ハッとさせられたことがありました。 デリケートゾーンのスキンケアというと、まだまだ女性が対象だと思われているため、それを前提にお話ししていたのですが、打ち合わせ相手の若い女性は、「なぜ、女性ばかりキレイにしなくちゃいけないんだ?って思います」と一言。 今でこそコスメ男子も増えてきましたが、日本においては、ほんの数年前まで女だから化粧をするのが当たり前、男が化粧するなんておかしいという時代でした。 私自身とても不思議だったのが、女性は化粧とパンプスの着用を学生、生徒である時はとがめられるのに、社会人になってからは当然のように求められること。 パンプス着用の強制については、#KuToo運動によって少し改善がみられますが、化粧についてはまだまだ強制的です。 どうして素顔のままだと失礼なのでしょうか?どうして女性が化粧をするのが常識なのでしょう? では、どうして男性は化粧すると非常識なんでしょう? そして、性は「男性」と「女性」のふたつでしょうか? 性について、当たり前だと思っているコトやモノまだまだありませんか? 今日ぐらいは、固定概念から解き放たれて、ありのままに自分らしく、輝ける日に。スキンケアによるダイバーシティの実現を目指すMellow.は、「トランスジェンダーの日」を記念して、ほんのささやかですが、今日から4日間ディスカウントを行っています。 ぜひ、この機会にお試しください。 JohJHainによるPixabayからの画像
同性婚の議論
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先週、「同性婚を認めないのは違憲である」という判決と「同性同士でも不倫に値する」という判決のふたつのニュースがほぼ同時に飛び込んできました。 これらの判決は同性婚の良い面だけでなく、これまでの異性間の婚姻同様に、婚姻についての責任も問われることも示唆した非常に意味深い判決だと感じました。 同性婚は現在、29の国と地域(アジアでは台湾が唯一認められています)で認められています。ご存じの通り日本では認められていませんが、パートナーシップ制度を導入する自治体も少しずつ(70以上の自治体)ではありますが、増えてきている現状があります。 今回、裁判所は同性同士の結婚が認められないのは「合理的な根拠を欠いた差別的な扱いだ」として法の下の平等を定めた憲法に違反するという初めての判断を示しました。 一方、同性同士の不倫も「不貞行為」と認定された裁判の判決の方は、裁判所は男女間の行為に限らず、「婚姻生活の平和を害するような性的行為」も不貞行為にあたると指摘し、同性同士の性的行為で、「既存の夫婦生活が離婚の危機にさらされたり形骸化したりする事態も想定される」として、不貞行為に当たると認定しました。 この裁判例では、「不貞」とは、性別の異なる相手方と性的関係を持つことだけではなく、性別の同じ相手方と性的関係を持つことも含まれるとしたうえでの判決です。 同性同士の不倫を認めた判例は初めてではないものの非常に珍しいもので、これまで「不貞」とは、配偶者以外の異性と性的行為をすることを指すとされ、同性同士の性的行為は不貞とはいえないとされてきました。 しかしながら、この判決は同性カップルの存在が世間的にかなり認知されてきている象徴であり、同性間でも「不貞」について異性間同様に責任を問われるということは、つまり同性間でも婚姻についての機能と役割は異性間同様だと意味するものだと感じました。 そろそろ同性婚についての議論の機は熟してきているのではないでしょうか。 原告のうちの一人の方の発言に「違憲の判断が示されて生きる勇気や希望を感じ、『このままの私でいていいんだ』とほかの同性愛者の方も思うことができた」というものがありました。 誰もが自分らしく生きられる社会へ、多様な家族の在り方も含め、多様性を認め合う社会の実現に向けて、同性婚についての早急な議論が求められています。 #同性婚訴訟 #同性婚を認めないのは違憲 #ダイバーシティ #LGBTQ